
From Mom
第1回 長男妊娠
1985年8月、本場のハリウッドで映像プロダクションを・・・という夢を実現するために、全貯金をかき集め、はたいて、ロサンゼルスにやってきました。メンバーはつい一週間前に書類上だけ結婚した(結婚資金も渡米費用に消えました。)ダンナさま(英治さん)と彼の後輩と私の3人です。1ドル240円の時代でした。
日本からは借り物のビデオカメラと編集機一式、業務用大型モニター、ビデオデッキ3台にトランク6個という大所帯で8月20日のお昼前にロサンゼルス空港に到着。つい一週間前に日本航空機が御巣鷹山に墜落して520人もの犠牲者を出したばかりだったので、着陸の瞬間は乗客全員が大拍手でした。ところが空港でビデオ機材の入国手続きに手間取っている間に、荷物台をグルグル回っていたビデオデッキ一台を盗まれてしまいました。早速ボディ・ブロウを食らった感じで、着くなりションボリでした。でも次回からは中身が分からない箱に入れて持って来ようねと、Lesson One、夕方ともあれ無事到着を乾杯したビールで立ち直りの速さが証明され、程なく新婚気分など皆無の3人共同生活が始まりました。
そして仕事も生活も全然軌道に乗っていない1986年の暮れに妊娠が発覚。いくら何でも、この状態で生むのは無謀かな?ロスに帰って来てから善後策を立てることにして、アラスカ・ロケに発ちました。その時にアラスカでお会いした何人もの素晴らしい日本人…中でも今は亡き写真家の星野道雄さん――目がキラキラと輝き、とても情熱的な話で誰をも引き付けてしまうとても素敵な人でした――そしてオーロラの研究一筋で現在も第一線で活躍しておられるアラスカ大学の赤祖父博士、アンカレッジとノーム間の1800キロ余りを10〜18日かけて犬ぞりで走るレース、Iditarod、に日本からただ一人参加されていた小島さんらとの出会いは印象に残り、今でも時々懐かしく思い出します。真冬のアラスカは日照時間が2時間程しかなく、一日の大半が夜、また暗くなると気温は零下20度以下、それに風が吹くと体感気温は零下30〜50度に下がります。そんな厳しい環境の土地で、生き生きと活躍しておられる人々を目の当たりにして、このお腹の子はどんなにしても産まねば…という決心をしました。
(2004/7/20)
