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From Mom

第10回 初めての里帰り

長男の妊娠はアクシデントのようなものでしたが、英治さんも私も兄弟姉妹に恵まれて育ったので、一心を1人っ子にするつもりは更々ありませんでした。小さなパパ・ママ会社で一蓮托生の共稼ぎ生活を送っていた私達に浮かんだ妙案は、どうせ大変なら一日でも早く2人目を作って一緒に育ててしまおう…という今思えばまたまた無謀な考えでした。そう決めたら、あっという間に第2子妊娠!私達の思惑どおり(?)、一心に1年3ヶ月違いの弟か妹が出来る予定となりました。

思えば、2年半前に何の伝も無いアメリカで会社を設立して以来自転車操業が続いていて、その上一心が生まれてからは更に余裕の無い毎日でした。そんな中でもう1人赤ちゃんが増えたら、それこそ身動きが取れなくなるだろうと思い、今のうちに日本のおじいちゃん、おばあちゃん、おおばあちゃん達に一心を一目見せようと、一家で初の里帰りをすることにしました。一心が生後10ヵ月、私は妊娠5ヶ月でした。

私達の実家は関西なので、大阪行きの直行便を選べば良かったのですが、当時ロス・成田間に就航したばかりの航空会社があって、食事が美味しく、サービスが良く、そして英治さん向きにステュワーデスさんが美人揃いというもっぱらの評判だったので、乗り継ぎがあるにも関わらずそちらの便を選んでしまいました。(この後、私達が乳幼児連れで乗り継ぎ便に乗った記憶はありません。)飛行機の中では、赤ちゃんを入れるバシネット(座席の前に取り付けられる籠)を頼んでおいたのですが、いざ使ってみると籠に入るのは一心の頭と胴体だけで、両腕は何とか脇に押し込むか身体の上に置いても、両足は籠からはみ出てぶら下がり何とも滑稽な有様でした。後から聞いたのですが、バシネットにちゃんと収まるのは生後6ヶ月くらいまでだったのですね。

当時(1988年)日本製の紙おむつは3〜4種類ありましたが、まだまだ開発途上にあり、分厚くてゴワゴワのパンパースもそれなりに健闘していました。今や品質面では日本製がダントツだと思います。市販の離乳食は発売開始されて間もない頃で、アメリカ製の瓶詰めのものが並ぶ棚の隅に日本製のフリーズ・ドライ方式のものが数種類置いてあるという感じでしたが、どれも目を見張るようなお値段でした。ただ離乳食を作るための、手回しハンドルで簡単に食べ物をつぶすことが出来る器具や、すり鉢状になった取手付きの御椀などはとても良く出来ていて、やはり日本では手間暇かけて離乳食を手作りしているのだなぁ…と感心したものです。また日本のベビー服のデザインと着心地の良さは一級品で、中でもロンパースの使いやすさは世界一だと思います。ただ乾燥機に入れると10〜20%も縮んでしまうのが玉にキズです。そして何にも増して素晴らしかったのは、軽くて機能的なストローラー(ベビーカー)でした。私も一台買って持ち帰りましたが、子育て中のアメリカ人の賞賛の的となり、「何処で買ったの?」「不要になったら売って欲しい!」という質問やリクエストが相次ぎました。それから数年後に、日本のストローラーがアメリカ進出を果たし、アメリカのメーカーも追随して同様の製品を作り出したので、アメリカでも日本式のストローラーが主流になりました。

第8回の連々記にも書きましたが、内科・小児科医である私の父に一心の太り過ぎを指摘されたのも、この里帰りの時でした。確かに妊娠5ヶ月の身に、一心の重さはかなりこたえました。特に公共交通手段を使って赤ちゃん連れの移動をするのは、親2人がかりでもかなり大儀でした。まだ宅急便が生活の一部になっていなかったので、荷物を送るという発想はなく、ベビーカーがいかに優れ物であっても、やはり大きな荷物である事に変わりはないのです。またベビーカーを押してみて、日本には至る所に段差があるという事に初めて気がつきました。これは家の中も然りで、一心を抱いたまま玄関口の敷居に躓いて転びかける…というゾッとする出来事もありました。

ジジババ孝行という名目の里帰りで、イロイロと無理もしましたが、次回の帰国は更に3年後まで実現しなかったので、やはり思い立ったが吉日でした。子連れの里帰りはその都度大変でしたが、おかげで、子供達は今でも日本が大好きです。

(2004/12/5)

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